tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

おはようございます。今日も比較的暖かい一日になりそうです。

皆さんには病気のことでいろいろとご心配をおかけして申し訳ありませんでした。身体のあちこちがおかしくなり、物忘れが酷くなりメンタル的に参っていました。今後自分がどうなつていくのかの不安と、どう生きていくのかの迷走状態でした。でも病気とは付き合っていかなければならないし、どう生きていくかでははく、どう生きたかが大切なんだと思い直すことにしました。ブログを始めたきっかけが、同じような難病を抱えた人達に情報発信と、自分らしく生きるということを発信すると同時に、リハビリも兼ねてパソコンを使って指先の巧緻性を高め、第2の脳という指先を使うことにより脳を刺激することでした。現在病気は緩やかに進行していますが、2000年以降に多発性硬化症になった方は、薬がきちんと使われるようになったため、ほとんどの方か二次進行しないそうです。ですから今の症状と向き合い頑張ってください。自分は病気が悪化して働くことが困難になるまで福祉を通じて人のために家庭を顧みず頑張ってきました。その姿勢や思いを生かすために趣味である音楽を、
YOUTUBEで配信して少しでも、その音楽を通じて元気になってほしいという目標をたてました。それに向かって頑張ります。