tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

作業所通い2日目。今日は土曜日なので半日出勤でした。

自分の居場所は事務所ですが、朝から代表が何やら悩んでいるので、どうしたのか聞くと作業所の畑の管理がうまく出来ておらず、収穫したら売れるものが放置状態になっており、一生懸命職員が利用者さんと栽培はしてくれているものの、流通せずにそのまま食べれない状態になっていくということで勿体ないとのこと。前は袋詰めしてショッピングセンターで地産地消のコーナーに出していましたが、現在はそこまで手が回っていないとのことでした。
取り合えず、にんにくの芽をつまないと、にんにくが大きく育たないのでということで、利
用者さんと一緒に、自分も利用者なんですが(笑)、畑へ行って、にんにくの芽を摘み取る作業をしてきました。今の自分にはちょっときつい作業でしたが、ニンニクの成長が悪いと小粒になり売り物にならないので結構な量を摘み取りました。今回はニンニクの芽の長さにばらつきがあり、区分けや出荷準備も午前では出来ないので、利用者さんと職員で持ち帰り、残りは来週の食事に使うことになりました。自分は食べれないのですが息子夫婦と孫のために持ち帰ってきました。今日も天気が良く、暑かったのでウートフ症状が見られるので
帰ってきて冷房でクーリング中です。