tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

おはようございます。昨日も午後7時過ぎに寝落ち

昨日も午前のみの仕事で、帰ってきて一休みしてから胃婁の準備をして、午後4時頃には胃婁を開始し、その後食後薬を注入してから後片付けをして、就寝薬を注入して午後7時には寝落ちしていました。夜中に数回、背中の痛みで目が覚めましたが、ストレッチで背中をのばして、また入眠。朝目覚めてから、胃婁の注入と食後薬の注入をしてから後片付けをしてブログの更新をしています。昨日の午後から、左目の都力低下と視野が狭くなりましたが、一晩寝て視野はもとに戻りましたが視力は低下したままです、時々起こるのですが数日で戻ってくるので慣れてしまいました。本当に酷いときは、黒目がおかしな場所にずれるとか、黒目の部分が見えなくなり白目いなるので、病院行きです。

昨日は一日勤務してみようかとも思いましたが帰ってきて正解でした。B型作業所に通い始めたのはお金ではなく、病気の進行と引きこもりがちを抑えるためであり無理をして長続きしなければ、またもとに戻ってしまいます。そうなればもう行くところもなくなります。細く長くが目標なので、今週は半日勤務を続けていきます。