tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。
その後、嚥下障害となり胃瘻を増設、排泄障害や高次脳機能障害も併発して、歩行や体幹にも障害が出ています。一日一日を生きるように心がけています。

たかがプラモデル、されどプラモデル。何とか完成。

昨日の朝からプラモデルのミニ四駆づくりにチャレンジしました。プラモデルの箱を開け、部品の多さと設計図の細かさに挫折し、5分間休憩。気を取り直して、気合を入れて再びチャレンジするも、左手が思うように動かず、何度も途中で挫折。そのうえ、近い距離はただでさえ二重に見える複視のために設計図がよく見えず、小さな部品も見えずらい。自分の気力との戦いでした、左手はほとんど補助的にしか使えず固定が必要な際は工夫していろいろな物を作って固定して作成しました、何回途中で辞めようと思ったか解りません。その都度、孫の為と思い、リハビリと思い、奮起しました。結局昔なら1時間程度あれば完成していたものを、半日以上かけ、根性と気力で仕上げました。これには我ながら感動しましたが、心身ともに疲れ果てて疲労困憊です。もうへとへとです、果たして喜んでくれるか?
ただコースを走らせてみての調整が必要なのでまだ、終了ではありません。