tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。
その後、嚥下障害となり胃瘻を増設、排泄障害や高次脳機能障害も併発して、歩行や体幹にも障害が出ています。一日一日を生きるように心がけています。

特定疾患「難病」かもしれないの方々へ

原因不明なのが特定疾患です。日常生活や仕事に影響がある人が多いと思いますが、病院選びは大切だと思います。自分の場合も、何か所病院を変えたか解りません。症状があるのに
問題はないとか言われると気が滅入ってしまいますよね。自分もずっとそうでした。県外の病院まで行って診察を受けたりしました。そんな日々が何年も続きました。特定疾患の申請が通った後でも、多発性硬化症の疑いという文言で言われ治療は受けれたものの、あくまで疑いと言われ続けて十何年もその状態が続きました。MRIに病巣が映って、総合病院から総合病院へ転院させられた際も、病巣について尋ねると「何か解らない」という返事でした。
総合病院の専門医がです。最近は多発性硬化症の専門サイトMSキャビン等があり情報もかなり増えましたが、当時は難病のため、医師にも解らない時代でした。最近は日々研究が進んでいます。仕事をしながら納得のできる病院を見つけるのにかなりの時間をかけ、最終的に地元の大学病院に多発性硬化症の専門医の医師がこられ、今に至ります。明らかに体調が悪いのに原因不明の難病の数はどんどん増えています。どうか、あきらめずに自分にあった病院をみつけてください。本人にしか解らない症状もあります。
自分は今の病院をみつけれてラッキーだったと思います。どう考えても納得のいかない場合は受診先をかえてみる方法もあります。多発性硬化症は自己免疫疾患で、神経の伝達が阻害される病気です。左手足の感覚や運動障害はずっとありました。今の病院に変わる前に喉に
物が詰まって呼吸が出来なくなるので、当時のかかりつけの神経内科医に相談して、総合病院で検査しましたが特に異常なしとのことでした。しかし、喉に物が詰まるのが多く、思い切って今の病院に紹介状を書いてもらい、検査した所、鼻腔カメラでの嚥下テスト、レントゲン撮影を行いながらのレントゲン撮影で、よく窒息しなかったということになりました。
口からの摂取は絶対無理となり、胃瘻を増設しました。
医師も万能ではなく、あまり臨床経験のない病気の原因を見つけるのは困難なのは理解できますが、自分の病気について納得できる医師に出会うのは大切だと思います。特に若い皆さんは若いうちから適切な治療を受けてください。