tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

おはようございます。本日天気が悪く残念ながら日の出拝めず

昨日も早く就寝しましたが、午後7時30分頃に息子夫婦と孫たちが旅行から帰ってきて、孫がお土産を持ってきました。「楽しかった?」と聞くと二人揃ってニコニコの顔をして「うん」とのこと。じいちゃん眠いからまた明日教えてねというと解ったと言って下に降りていきました。本当は聞いてやりたかったのですが、今の優先順位は静養と体力の回復なので孫たちにはごめんなさいです。今朝は早く目が覚めたのでYOUTUBEの編集をしてアップロードしています。楽しみにしている方も多いのでたまには配信しないと。特定疾患や障害者の視聴者さんもおられます。音楽配信によって少しでも元気になれるのならと思い、収益化はせずに配信しています。YOUTUBEのプレミアム配信やコメントで話を聞いたり相談にのったりしています。
今通っている作業所ですが、正直身体は辛いです。毎日、行かなければという自分と休んでしまえという自分がいて葛藤しています。しかしながら、障害を持ちながらも通っている利用者の笑顔が脳裏に浮かび、頑張って行っています。辞めてから1年半もたっているのに自分の顔や名前を覚えていてくれて、休憩時間になるとみんな集まってきます。話したいのだと思います。話す相手がいないのだと思います。その前に勤めていたA型の作業所の利用者からもいまだに、ラインや電話があり悩みや自分の身体のことを心配してくれます。
話す場所がないとか相談できる相手がいないとかでため込んでいるのだと思います。自分には特定疾患もあり障害もあることは利用者に話しています。なので職員には話せないことも話してくれるのだと思います。今週は午前中ですが来週からは何とか頑張って一日居ることができるよう静養と体力回復に努めています。