tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

昨日と本日、孫達と外出

昨日の夕方、下の孫がサッカーしたいから公園行こうと誘いにきたので車で5分ほどの芝生の広場と大きな遊具がある公園に行ってきました。サッカーをしたのはものの5分ほどで、後は大きな遊具で孫達は遊びまくっていました。サッカーはパスの練習だけだったので利き足の左足を使わず、右足で軽くパスしたので軽い運動になりました。孫達は遊具でストレスを発散して遊べたので満足していました。
今朝になり、息子が二人とも仕事になったので、孫達をみてやってほしいと言い出し、今度は上の孫がプラネタリウムを観に行きたいと言うので、自分の母親を誘ってみたら一緒に行くというので、科学文化センターという体験型の施設に出かけました。ゴールデンウィークなので混むことが予想されたので早めに出て空いているうちに遊ばせて、プラネタリウムをみて帰ってきました。プラネタリウムも新しくなっており、昔は3Dメガネをかけて観たのですが、今はそのままの状態で立体映像になり孫達は大はしゃぎしていました。
午後には帰ってきてダウンしていましたが、久しぶりに充実した時間を過ごしました。