tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

今日は昔勤めていた作業所の利用者さんと海釣りに

前に一度気分転換を出来るように海釣りに連れて行ってから、ずっと行きたいと連絡してきた利用者さんに「釣りに行くけどどうする?」と電話した所、「行きたい」ということになり、急遽合流して、海釣りに出かけました。自分は釣りをしたいというより、海を見たかったので、今回は釣りを教えることに専念して、仕掛けの作り方やえさのつけ方を教えて、後は海の景色と潮風を堪能してきました。いい気分転換となりました。そこでみんなどうしているのかという話題になり、当時の利用者数名とラインや電話をして、近々カラオケに出かけることになりそうです。たまにガス抜きをしないと精神的に参ってしまうので、場のセッティングをしています。もう3年以上たっていますが、いまだに交流が続いています。