tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

今日もニンニクと玉ねぎとの格闘でした。

毎朝、体調があまり良くないので休もうと思うのですが、ニンニクと玉ねぎの出荷のための乾燥や区分けをする人が代表しかいないので気が付いたら作業所にいく準備をしています。
他の仕事がそれなりに入ってきているので、利用者と職員をニンニク等の作業に回せないので仕方ありません。とても一人でできる量ではないので無理をして行ってしまいます。作り過ぎなのだと思います。処理できる量をかなり越えているので。収穫後の管理がきちんとできないと、腐ったりカビたりします。せっかく作って収穫したのに売れなければ意味がありません。いつも出荷しているスーパーに値段を観にいったら、それなりの値段で売っていました。明日も、何とか行けたらニンニクと玉ねぎと戦ってきます。少しでも多く出荷できれば工賃に返って来ると思うので、自分はいいですが障害を持っても頑張っている利用者が少しでも喜んでくれる顔を夢見て。そういえば、自分は食べれないので関係ありませんが昼食後、利用者さんが、今日の昼食は玉ねぎだらけだったと写真を見せにきました。玉ねぎは身体にいいから、しっかり食べるように言うと限度があるというので内心その通りだと思いましたが(笑)すでに売り物にならないものは昼食の食材となるので、当分玉ねぎが続きます。ニンニクも(笑)