tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

今日は久しぶりの晴天だったので、実家で親孝行

母親が花を植えるのが好きで、植え替えをしたいと言っていたので手伝いにいきました。
着いて驚いたのは、1パレット24株のパレットが4個もありました。合計96株です。いくら花が好きとはいえ買い過ぎです。玄関先にプランターが沢山ありますがあまりの多さに、現在植えてある花ももう時期的に植え替えなので、すべてボツにして植え替えました。何とか
植え切りましたが、行かなかったら一人で植えるつもりだったとのことですが、とても植え切れる量ではなく、植え方も教えながら植え切ったことにより気持ち的に楽になったようです。花が咲くのはもう少し先になりそうですが、綺麗に咲いたらアップしたいと思います。
そのあと、車で買い物に行きましたが数か所回りました。気に入ったものが買えたようで喜んでいましたが、その際の車中で「そんな重病なのにどうしてポジティブに動けるのか」と聞かれ、自分の病気は周囲から観て重病なんだと感じましたが、母親には「ポジティブでないとやっていけないから」と返答しました。難病なのでポジティブに考えていないとやっていけません。だんだん弱っていくのは感じていますが、日々の生活を後悔しないように楽しんで生きるだけです。若い頃、親不孝を散々してきたので、親孝行して返していくことが生きているという実感とリンクしています、もちろん、内心は不安でなりませんが考えても仕方がないので、一日一日を大切に生きています。