tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

市役所の障害福祉課にセルフプランを提出、受理される。


市役所の障害福祉課にセルフプランの書類を提出しに行ってきました。今までは利用者さんのプランを作成していたのに、自分の状態を客観的に見てプランを作成してみていろいろと考えることがありました。もう明日から利用可能とのことで、作業所には連絡しました。
午後からは車の車検にオートバックスに行き車検も通しました。徐々に前に進み始めていると思います。明日か明後日から作業所に通い始めます。いくつものことを並行してやることが難しくなっている状態の中で、よく頑張れたと思います。
思いのほか早く終わったので、市役所の展望台から市内の景色をみてきました。