tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

2022年9月のブログ記事

  • 久しぶりに息子と二人で海へ

    今日は息子が休みで、「イカ釣りに行くけど一緒にどう」と誘ってくれたので海も見たかったしついて行くことにしました。釣りは息子に教えたのに、今や息子のほうがはるかに上手くなっており、複雑な心境(笑)今日は釣りはせず見学者(笑) 短時間でアオリイカを2杯釣りあげていました。鮮度を保つために釣りあげたらす... 続きをみる

  • 月に一度の定期受診

    自分は月に一度、大学病院に定期的に受診しています。診療科は神経内科と精神科です。精神科受診は、病気に対する不安から鬱病になっていることと、夜によく睡眠をとるために眠剤や安定剤を処方してもらっています。多発性硬化症の症状の一つに疲労があり、とにかくきちんと睡眠をとるようにしています。おかげで再発の回... 続きをみる

  • 難病とは?

    プロローグ 自分は、この難病にかかってから、かれこれ30年たちました。難病指定を受ける前の期間を入れるともっと長く病気と付き合っています。 始まりは中学生の頃、身体中に力が入らなくなり起きていられなくなりました。総合病院でいろいろと検査しましたが、異状がみられず。しばらく入院していましたが、自然に... 続きをみる

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