tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

月に一度の定期受診

自分は月に一度、大学病院に定期的に受診しています。診療科は神経内科と精神科です。精神科受診は、病気に対する不安から鬱病になっていることと、夜によく睡眠をとるために眠剤や安定剤を処方してもらっています。多発性硬化症の症状の一つに疲労があり、とにかくきちんと睡眠をとるようにしています。おかげで再発の回数も少し減少しているようです。
神経内科では毎回状態を観察して、イムセラを処方してもらっています。他いろいろと症状に合わせた処方をしてもらっています。内服薬だけで腹がいっぱいになるほどの薬です(笑)でもおかげで在宅で暮らせています。今回の診察にて、先生からだんだん弱りだねと話されました。いわれなくても「先生、解っていますよ」
これだけ長く病気と付き合っていると、多幸性となりあまり深刻に考えなくなります。ここにたどり着くまでには長い道のりでしたが。最初の頃は、どこかに症状がでると不安になり病院受診を繰り返していましたが、いつの頃からか症状が出ても静養をとって落ち着くのを待つようになりました。さすがに新たな部位に症状が出た時は別ですが。イムセラの効能もあるのか増悪をすることは減りました。数年前より年に2~3回、治験のために入院しています。高次脳機能障害も出てきているものの、効果があるようです。診察室を出る際に、「じゃあ、入院待っているよ」と先生に声をかけられ、すごく微妙でした(笑)
これからも多発性硬化症とともに、一日一日を大切に生きていこうと思っています。