tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

顕著な再発

高齢者施設勤務10年目くらいから、会議中にしゃべっていると、やたらと唾でむせることがありました。そして一度むせるとなかなか止まらないため、主治医に診察を受け、念のために消火器内科に紹介状を書いてもらい、胃カメラと腫瘍マーカーの検査を受けましたが異常なしとのことで、経過観察をすることとしましたが、そのうち食べ物が喉に引っ掛かり、窒息しかかることが増えてきたので、多発性硬化症の専門医のいる大学病院を受診しました。
入院後発熱があり、吸痰と酸素吸入が必要な症状のため、鼻腔カメラでの嚥下テストやレントゲン照射したままでの嚥下テストで、喉の気道と食道の振り分けをする弁が機能しておらず、嚥下障害であることが解りました。すぐに鼻腔栄養となりましたが、鼻にチューブを挿入したままの状態は辛く、胃瘻にすることを選択しました。胃瘻にしたことにより誤嚥のリスクは下がりましたが、それでも唾で誤嚥することがあり、寝る際のリスク管理としてベット角を30度にして寝ています。胃瘻にしたことにより現在生きていられますが、その代償としての食べる楽しみを失ったのはとても大きいです。