tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

今日は車のタイヤを買い替えて、息子とタイヤ交換

流石にもう雪は降らないので、冬タイヤから夏タイヤに履き替えるのに夏タイヤの溝がかなり減っていて、買い替えが必要で午前中にタイヤをカーショップに持って行って、新しいタイヤに入れ替えて、午後から息子と一緒にタイヤ交換をしました。タイヤを引き取りに行っている間に息子は車2台のタイヤ交換をしており、途中から加わり自分の車を含めて3台の車のタイヤ交換になりました。息子が居て大変助かり感謝です。重い物も持てずに、左半身の力も弱く、力を入れると腹部の胃瘻ペグの周辺に激痛が走るので、流石にタイヤ交換は一人ではできません。最低限の手伝いをするのに精一杯でした。