tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

今朝は比較的暖かく、近所を散歩しました

退院後、初めての散歩をしてみました。病院内を歩くより段差も多く、結構疲れました。いかに病院内がバリアフリーで歩きやすかったかが身に染みて感じました。でも朝の空気はすんでいて、すがすがしい気持ちになりました。入院中はリハビリの先生と玄関の外までしか出ていなかったので自由を感じました。この時期は桜に合わせた状態でチンドンコンクールが開催されています。子供の頃はよく観に行きましたが、最近はテレビのニュースで観る程度です。日中は気温も上がり、最高の行楽日和でしたが流石にまだ出かける体力もなく自宅で過ごしていました。
今朝の立山連峰です。