tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

自分の出来ることを、少しずつ・・・

毎朝の散歩から帰ってきて、家の庭と周りを観たら、草がかなり伸びていたので時間がかかりましたが草むしりをしました。自分の出来ることを少しずつでもしていこうと思い、リハビリを兼ねて綺麗にしました。その後、墓掃除に母親と行きました。最近の暑さは異常で9時頃には30℃を軽く越えており、墓掃除の半分くらいしかできませんでした。もっと朝早く涼しいうちにもう一度行くことにしました。
午後からは疲れ果てて自室でダウンです。