tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

母親の誕生日なので久しぶりに遠出しました。

帯状疱疹は長引いていますが、母親の誕生日で今まで迷惑かけてばかりで親孝行らしいことをしてあげてなかったので、久しぶりに遠出しました。母親の歳も歳で、大病をかなり多くしているのと自分もいつまで円転できるか解らないので出かけました。1泊2日の日程で宿泊先の温泉旅館だけを決めて出かけました。途中、母親と話していて、海沿いの砂浜を走れる千里浜なぎさドライブウエイが砂浜が侵食されてだんだん走れなくなってきているということを思い出し時間もあったので回り道をしていっていました。海岸線は以前に比べてかなり狭くなっており、波の力の凄さに驚きました。夜は奮発して露天風呂付客室に宿泊して母親も満足していました。