tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

自分の趣味って?

多発性硬化症発病後、とにかく病気に負けてはいけないと仕事にただ打ち込んでいたので
趣味は仕事みたいな感じで周囲からは言われながら働き続けてきました。今になって振り返ると、本当に福祉づけの日々を過ごしてきました。家族も省みず。反省です。よく息子に笑いながら「家には父親が居ない」と笑いながら言われてきました。釣りに行ったり、遊びにつれていったりしていましたが、ほとんど家におらず真夜中でも電話があれば施設に行くような毎日でした。息子は自分の子たちにはそんな思いをさせたくないと頑張っています。感心します。
そんな生活を送ってきたので、我にかえると趣味は??????
若い頃は釣りにはよく行きましたが、最近は釣り竿を車に積みっぱなし。この間息子と海に行ったのも久しぶり。音楽も好きでバンド活動もしていましたが左半身の麻痺のため楽器を弾くのもなかなか難しい。とりあえず、釣りと楽器で頑張ってみようかなと思います。いつか趣味を聞かれたら、釣りと楽器演奏ですと答えれるように(笑)