tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

人に伝わりにくい指定難病患者の想いや苦労

昔は56種類だった特定医療疾患数は、医療の進歩により年々増え2022年現在338種類と
なり指定難病と名称を変更されています。多発性硬化症は当時より指定難病に入っていましたが、その頃は原因不明で入院している患者さんが結構おられました。指定難病だと知らされた自分のショックは大きかったですが、今になって考えると原因不明で入院しなければならなかった患者さんの不安や恐怖はもっと大きかったのではないかと考えます。そして今現在も原因不明の病気の方々も多くおられるのが現状です。実際自分が福祉を仕事にしていた際も聞いたことのない病名の方が数多くおられ、都度勉強して対応していました。
指定難病として診断された方も原因不明の病気の方も多くの悩みを持って、症状とともに不安と闘いながら、日々の生活を送っておられることと思います。そしてそのこととともに周囲の理解を得られないことに苦悩しておられる方も多いと思います。しかし病気になったのは自分のせいや他人のせいではなく誰のせいでもないのではないかと思います。生まれながらにして障害を持っておられる方、外的原因で精神に疾患を持たれた方もおられます。要因は様々ですが生きていくには病気や障害とともに歩んでいかなければなりません。他人は残念ながら見た目からその人を判断しがちです。また他人の心の中までは、誰にも分かりません。心の中については健常者も障害者も指定難病も関係なく分からないと思います。現に自分もこうしてブログに情報発信していますがいろいろなことがありました。自分の家族でさえ、まだどんな病気か分かっていません。症状に関しては前回投稿しましたが、外見からみれば、ただの中年のおじさんです(笑)左足はやや引きずり気味ですが立ってだけいれば分かりません。左手の握力1桁も動かなければ分かりません。胃婁に関しても服を脱がないとペグ(胃とつながっている管)は見えません。疲労感が人より強いのも、誰だって疲れることがあります。排泄障害も紙パンツで分かりません。今はこうして自分をさらけ出して言えるようになりましたが、かなりの年月を要しました。
病気や障害と付き合いながら、一日一日を焦らず慌てずゆっくりと歩んでいきましょう。