tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

家族にも伝わりにくい難病

仮に難病と診断されても、表面上は元気に見える難病の方も多いと思います。同じ難病でも
人それぞれに症状が違うため。「元気そうだねか」とか「どこが悪いのか解らない」とか言われたりしませんか?自分の場合もそうです。また過去には酷い部分だけを文献から引っ張ってきて、重症のように言われて職責を追われそうにもなりました。人間、病気ではなくてもストレスを感じることもあります。難病の方々は。それぞれ人には伝わりにくい部分のストレスが無意識にかかっていると思います。自分自身でもどうなるか解らないし、医師にも
予測できないのだから、周囲の理解を得るのは大変なことだと思います。家族にしても理解できないのは仕方ありません。ではどうすれば楽にかるのかですが、自分の場合は今の症状を受け入れ、その中で一日一日を大切にして生きていこうと思い、現在に至っていますが、
頭の中では、それに負けそうになることが多くあります。だんだんと弱ってきているのが、自分自身が一番よく解るからです。良からぬことを考えないかと言えば嘘になります。
でも難病になったのは誰のせいでもありません。
自分の人生なので充実した毎日を送るように少しずつでも前向きに生きましょう。