tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

永年の間に身体に染みついたこと

午後から母親を買い物に連れて行った帰り道、歩道で転倒している男性老人を発見。気温が高くて立ち眩み?知らずのうちに車を止めて男性老人のもとへ。ちょうど一足先に通りかかった通りかかった女性二人も心配して車から降りてきました。鼻の上部をU字型に切って出血しており、もう少し傷が深かったら即救急車でしたが、微妙な出血量だったので本人に「大丈夫ですか?出血もしているし救急車呼ぼうか?」と尋ねると大丈夫というので、なら自分で立ってみてと話し、いつふらついても支えれるようにして立ってみてもらいました。自分で何とか立ち上がれたので、近くの座れそうな場所まで歩いてみてもらい、骨折等の心配もなさそうだつたので、水分を買ってきてくれた女性二人に任せて日陰に誘導してもらいました。自分は元専門職でしたが、女性二人もおそらく福祉の専門職だったと思います。自宅に母親を送って、帰りに通りかかり、鼻に傷バン処置をして気をつけて帰るように話したら、お礼を言われました。多くの車が横目で見ながら素通りする中、おそらく専門職であろう若い女性二人が気にかけてくれたことがすごく嬉しく思えました。と同時に自分が無意識に対応してしまう身体に染みついた福祉に驚きました。