tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

久しぶりに福祉作業所に、顔出しに出かける。

毎朝比較的気温が低い時に、墓掃除に気力と体力を振り絞って行っていましたが、日中は冷房をかけて体温を上げないようにして過ごしています。作業所から連絡があり、ちょっと教えてほしいことがあるというので、ボランティアで事務処理をしてきました。流石に気温が高いとウートフ症状が出て神経症状が悪化しました。体温を下げることにより、症状は少しよくなりましたが、夏は大変です。毎年、この時期が一番嫌な季節です。
今日、病院のリハビリの医師から電話が入り、来週の神経内科の経過観察と評価の前に、リハビリ科でも身体のバランスの評価等をしたいので寄ってほしいとのことでした。現在、神経内科とリハビリ科との話し合いでは、効果がみられるもののどのくらい持続するのかを調べたいとのことです。多発性硬化症の患者は、まだ自分だけ治療をしたとのことでやや実験台みたいです。経過を観ながら治療をしていくとのこと。現在の症状についてはリハビリ科
の先生から神経内科の先生に伝えておいてくれるそうなので来週の受診日によく話し合って
次の治療の日程を相談するようにとのことでした。