tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

今被災地に何が必要なのか曖昧なのはどうにかならないのか

毎日、能登半島地震のニュースや現地の状況を観ていて思うのが、今被災地にどんな物品が必要でどんなマンパワーが必要なのかはっきりと解らないもしくは断片的で、給水パックやブルーシート、常備薬等がやっと被災市町村からニュースとして出ましたが、そればかりが集まっても困るのではないかとも思い、ブルーシートを誰が屋根や山の斜面等に貼るのか、
その他賞味期限が半年以上のレトルト食品等も受け付け始めたようですが、もっとも気になるのは珠洲市等では65歳以上の方々が人口の半分程度おられて、医療と福祉のマンパワーの派遣がもっと円滑に行われる必要だと思います。但し、災害地なのでかなりの覚悟が必要だと思いますが。自分が元気であればすぐにでも駆け付けたい気持ちですが、悔しいです。
何か出来ることがあれば行きたいですが、病状が悪化すると逆に迷惑をかけるので行くこともできない自分が歯がゆく思います。