tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

暗中模索、どうしたい どう生きたい (独り言)

福祉の仕事から離れ、仕事が出来なくなってからまもなく1年になります。
自分の人生の中で一番変化のない、しかしながらある意味苦しい1年を送ってしまいました
病気の進行により一日働けない身体になってしまったが、家族は孫を見てくれればいいと言ってくれるが、それも一つの生き方だと思います。でも何かが引っ掛かります。じゃあ、どうしたい・どう生きたいと考えると暗中模索です。入院時に誤嚥性肺炎を起こしましたが、
今起こりうる最大の問題は、誤嚥による窒息です。喉の反射の喪失に加え、喉頭蓋が機能不全を起こしています。逆流性食道炎もあり、夜寝ている時も多量の胃液が上がってきてそれが気道に入り窒息しそうになることもあります。薬と上体を起こして寝ることぐらいしか今は対応がありません。病院もお手上げです。それでも、自分は何かしたい、人のために生きたい。家族や孫のために生きるのは当然ですが、天が与えてくれたこの病気を生かしながら、残りの人生をどう生きるべきか暗中模索です。明日かもしれない、まだまだ先かもしれませんが悔いのない人生を送りたいと思います。