tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

息子夫婦が住宅リフォームを考えています。

現在の自宅は自分が多発性硬化症になる前に建てたのですが今時の建売住宅よりはしっかりとした建て方をしてあり、息子夫婦が一度部分的にリフォームをしたのですが、自分が段々と体力が落ちてきているのと、病気の進行があるので再度リフォームを考えているようです。本当は自分たちの家を建てたいらしいのですが、一人息子で病気の親を一人にしておけず夫婦で考え抜いた結論として、息子がこの家を大々的にリフォームしていいかと聞いてきました。いずれにしろ、自分が死んだ後は息子が相続するので好きにしていいと返答しました。今の自分の部屋は2階であり階段の上り下りもきつくなってきていますが夫婦で考えて
1階の玄関脇の部屋にしてくれるとのことです。介護が必要となった際に在宅福祉サービスを受けるにしても、デイサービス等に行くにしても都合がいいのは息子も同じ福祉の仕事をしていたので理解しています。ありがたいことです。なので余計なことは言わずに好きなように住みやすいようにリフォームさせようと思います。今後、自分がどうなっていくかは解りませんができることはできる限り自分でしようと思いますが、できなくなってきたとしても、たぶん息子が入浴等の介護をしてくれると思います。


※昨日、下の孫が部屋に来て遊んでいる時に、「じいちゃん、じいちゃんの部屋は自分でこの部屋に決めたん?この部屋かりとる?」と聞いてきました。可笑しくて可愛くてならない質問。よく考えてみると孫たちはこの家に生まれてからずっと住んでおり、自分たちの家なんだと。そして下の孫がこの部屋が自分の部屋になることを知っているからの質問だったと気づき、この部屋はいい部屋だよというと、ニコニコしながら「うん」と。和室を洋室に替えることになると思いますが。