tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

午後から孫とお出かけ


今日は息子は出張中、午前中は下の孫の生活発表会で嫁と二人の孫は保育園。曇り空だったけど山から白いものが下りてくる前に、外で思い切り遊ばせてやりたかったので、午後から
近くの河川敷にある公園に連れて行きました。車の中で、「じいちゃん、あの山の白い所は
今も雪降っているの?」と聞いてきたので、「降っているかはわからないけど積もっているから白いんだよ」と答えると「ふーん」と答えた後、「雪が降ったらまたそり遊びしたい」と言って楽しみと言っていました。家の庭に除雪した雪を積み上げて雪山を作ってそり遊びをするのが毎年の恒例で、雪を集めるのは息子夫婦の仕事で、その雪で滑り台を作るのは自分の仕事です。学校と保育所へ行っている間にリハビリを兼ねて作ります。
公園までは車で5分ほどなのですぐに着きます。近所にも公園はありますが遊ぶ大型遊具が少ないので、よくその公園に遊びに連れていきます。最近は入院があったりして1か月ほどいけていませんでした。公園につくと猪突猛進で遊具のほうに走っていきました。この間までは怖がって上がれなかった遊具のてっぺんまで上がって喜んで遊んでいました。子供の成長は早いなと思い嬉しく思いました。