tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

特にすることもなく本屋へ行った帰りに、パチンコ屋に

本屋に行って株式の本をいろいろと見て、解りやすい本を一冊購入し、その帰り道にあるパチンコ屋に入ってみました。人だらけで密な環境。驚いたのは、パチンコやパチスロの台に
大きな飾りのようなものや、知っているといえば、パチンコ台の上にゴジラの顔がついている。まるでゲームセンターのような感じでした。出ている台は何台かあるもののほとんどの人は負けている感じでした。昔は箱を積み上げてあったのに、今は下に皿がついていてそこに流れた玉をカウンターが計測しているらしいです。コロナになったらまずいので、すぐに
出て帰ってきました。社会勉強してきました。

これが何台も並んでいると不気味な感じでした