tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

元旦は寝正月、youtubeを観たり、動画を作成したり。

元旦は朝早くに家中で出かけて、あっという間に静かになりました。新年の挨拶もしていないのですが。おかげて仮眠をとったり、youtubeを観たり、動画を作成したりしてのんびりと過ごせました。夕方、みんな帰ってきたのですが、別れた嫁の実家に行っていたようです。ちょっと買い物に出て帰ってくると、孫二人が玄関で待っており「明けましておめでとう」と笑顔でご挨拶。お菓子の福袋とお年玉をやりました。すると「ありがとう」と言って喜んでいました。親は無頓着なので、挨拶やお礼はいい加減にさせていますが、じいちゃんはそういうことに厳しいのをよく知っており、普通に言えるようになってきてうれしいです。