tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

昨夕、元勤めていた作業所の利用者にばったり会う。

昨夕、勤めていた作業所の利用者にコンビニでばったり会う。一般企業ですら仕事が減っているので、「仕事はあるのか」と聞いてみると案の定、「仕事は減っており下請けでやって
いる仕事も減りすぎて突然休みになったりしている」とのこと。前の前に勤めていた作業所であり管理者がお金に固執気味であり、一般の会社に勤めることができない利用者が働きにきているから国から補助金が出ていることを何度説明しても理解できず、仕事ができないとかいつも言っていたのですが、懲りずに前に勤めていたB型作業所のすぐそばに、またB型作業所を作りました。理由はA型作業所だと県の最低賃金を支払わなければいけませんが、
B型作業所にはその縛りがなく、だいたい平均で1か月2万円ほどでいいということで、前からずつと言い続けていたことです。賃金が安くていいということはそれだけ手がかかるということですが理解できてはいません。しかも福祉の専門職が全くいません。理由はその考え方です。ハーブを育てていろいろと作ると言っているそうですがかなり大規模にやらないといけません。自分がいた頃からよくもめていたのですが、うちのA型の利用者は仕事ができないから、B形にすると平気で言っていました。自分から見て障害があっても仕事はきちんとできていたので何を考えているのか?そのため、本当に仕事ができる利用者はごく一部で
そういう利用者は辞めていっているそうです。今もその当時の利用者とはラインや電話で相談を受けたりしているので、「そんなんじゃ、みんなストレスがたまりすぎているから今年は久々に花見バーベキューをしたらどうだ」と話したら、またみんなで相談してみるとのことでした。