tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

昨日の朝に一本の電話が・・・

昨日の朝に一本の電話がありました。出るまでは胃瘻のペグ交換の日の連絡かと思い電話に出ましたが、大学病院のリハビリの先生からでした。退院後の定期受診時にリハビリの評価もするのですが、今回は学会の出張で休んでおられたので、そのことについてのお詫びの電話でした。他の先生同様長い付き合いなので気になったようです。その際に2か月に一度の治療について神経内科と相談しているとのことでした。2か月に一度というペースになると年6回の入院となるので流石にちょっと考えさせてほしいと返答しました。これに年2回の胃瘻のペグ交換が加わります。人が聞くとかなりの重病人?となるのではないかと思いますが仕事をしていないので、本人的にはそれほどでもありません。なるようになるとポジティブに考えています。