tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

令和6年元旦に能登半島地震で震度5強を経験する。

新年を迎えて、YOUTUBEのプレミアム配信後、約1時間半後に、体感地震の強い物を体験した直後に本震が来ました。ここまで揺れたのは生まれて初めての経験でした。部屋の中はテレビがテレビ台から飛ぶほどで、部屋の中では、いろいろなものが飛び回りました。約20秒間ほどだと思いますが、揺れが落ち着いた時には、部屋の中がめちゃめちゃの状態になっていました。地震速報と津波速報が携帯から頻繁になり、かなりまずい状態だと地震で初めて思いました。その後も、それなりに頻繁に余震がありました。夜はきちんと寝るために眠剤を内服していますが、今日はまずいと思い、安定剤だけ内服して休みましたが、深夜の余震で数回目が覚めました。一夜明けて、地震の爪痕が徐々に解りまじめて大変なことが起こったと感じました。日中も体感できる余震が不規則に起こっています。ただ今晩は寝ないと体調を崩すので通常通りの内服をします。明日の朝まで大きな余震が起こらないことを祈ります。犠牲になられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。また避難所にて生活しておられる方の身の安全を心よりお祈り申し上げます。