tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

下の孫の風邪から始まり、上の孫のインフルエンザ゛A型

先週は下の孫が風邪をこじらし1週間休み、今週は上の孫がインフルエンザA型で自宅療養でした。いずれにしろ、うつると大変なので差し入れしかしてやれませんでした。ほぼ部屋から出ず、家の中でも自室以外はマスク着用でした。もう治りかけですが、もう少しは距離をおこうと思っています。孫達には果肉の入った懐かしの不二家のネクター桃味を買って差し入れしました。二人とも美味しかったらしいです。最近、ネクター自体見なくなりましたが、まだ製造していたのには驚きました。自分もネクターは大好きでした。