tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

誤嚥は少ししたようですが回復してきました。

痰が多くでましたが、結局喉の奥の方で痰が絡んでいて、痰がきれていないために、心拍数が変化していたようでした。喉の奥までよく湿らせて吸引機で吸ったら、痰の固まりがひけて体調は安定しました。念のために風邪薬を飲んで休んだら回復しました。
昨日、youtubeを観ていたら、自分の子供位の女の子が、やはり難病で胃婁を自分でしており衝撃的でした。こんなに若い子が自分で出来ることは自分でやりますと笑顔で配信しているのを観て、自分よりもしっかりしていると感動しました。
自分も痰が詰まったりして、気をつけていないと窒息する可能性があると言われていますが、その子も脳神経的に問題があるらしく、呼吸が止まることがあるとのことです。
自分は一日一日を大切にと生きていますが、その子は夢に向かって一日一日一時一時を大切に生きていると笑顔で話していました。
自分はまだまだ修行が足りないと思いました。




毎日毎日の足跡が おのずから人生の答えを出す
きれいな足跡には きれいな水がたまる


                       相田みつを