tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

今日は朝に少しチラチラと白い雪が、日中の気温も3℃

今日は朝から寒く、日中の気温も3℃までしか上がりませんでした。今日から上の孫は学校で、朝寒い中元気に登校していきました。今日は給食がないから早く帰ってくると言っていて、午後1時には帰ってきました。学校までは2㎞ほどなので一生懸命に歩いて来ると雪さえ降っていなければ大丈夫だと言っていました。流石に子供は風の子、じいじはコタツの子です(笑)とは言え、今日はゴミ捨て場の清掃当番の日で、いつも自分が行ってきているので、寒い中さっと行って片づけ、明日は不燃物の日なので、空き缶入れの箱を2個セットして帰ってきました。以前はそんなに汚れておらずマナーも守っていたのですが、最近アパート等が出来たりして、ゴミ捨てのマナーが少し悪くなってきており、量も増えています。
コンクリート製の引き戸が4枚つけてあるゴミ捨て場なので今の所、動物等に食い散らかされることがないので何よりです。いいリハビリになりました。