tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

孫の帰りを待つ毎日、玄関の戸が開くと同時に「おかえり」

自分は息子が小さい時にほとんど家におらずに働いていました。当たり前のことですけどね。それが病気になり仕事ができなくなり、家にいるようになって孫には帰ってきたら誰もいない寂しい思いをさせたくなくて、ほぼ帰宅時には家にいてやります。はじめは「おかえり」「ただいま」のやり取りがぎこちなかったのですが。最近孫の「ただいま」の声に張りが出てきました。嬉しいことです。今日は天気も良く帰りもいつもより少し早かったです。
孫たちの顔をみると幸せな気持ちになります。