tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

多発性硬化症とつきあって

多発性硬化症は、自己免疫疾患で、外見からみても解らない様々な症状が出ます。本当に体調が悪いのかと疑われることが多々あり、家族にも伝わりづらいのも現状です。急に視力や視野が落ちて見えずらくなったり、視野欠損や復視となったり、感覚機能障害で痛みや温度が解らなくなったり、手足が急につったり、手足に麻痺が出たり、嚥下障害や排泄障害が出ます。他には高次脳機能障害が起こります。まだありますが以上述べてきたのは自分の現在に至る症状です。ステロイドパルス療法にてある程度は回復しますが、障害として残る場合もあります。上記の症状により、現在自分にある症状は、複視、左半身の機能低下等がもともとありました。数年前に食事中、喉に食べ物がつっかえて、窒息しかかることが数回ありました。とりあえず、総合病院の胃腸内科を受診しましたが、胃カメラでは異状がみられず様子観察となりました。その後、あまりに酷いため大学病院に専門の先生がおられるとのことで受診して検査を受けました。鼻からカメラを入れて喉の動きや反射をみたり、レントゲンを照射しながらの喉のとおりをみたりと。結果的には、飲み込みより窒息のほうが大問題となって
その日から即入院で、高柔食となり、食後と一日数回は、痰や食べかすを吸引することとなりました。嚥下障害を起こしてからの期間が長く治療はしないで、一日一回内服する薬剤にて対応しました。しかし、やはりその後肺炎を起こし入院。鼻腔栄養と吸引にて対応しましたが、このままで退院しても仕事を続けるために、胃ろうを選択し増設しました。自分の場合は、福祉関係の仕事をしていたので、自己管理しています。
排泄に関しては出ない時と突然でてしまうことがあり、あまり体調が良くない時には紙パンツにて対応しています。


その日その日を大切に生きよう