tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

日々の過ごし方・・・

昨年の11月までは胃瘻の状態でも雇用先の配慮により、普通に労働していました。大学卒業後はずっと福祉関係の仕事に従事してきました。最後は障害者の就労継続支援B型のサービス管理責任者として勤務していました。障害者が高齢者や障害者を看るという微妙な関係。
でも、多発性硬化症で障害手帳を持ったことが仕事の上で、すごく役にたちました。少なくとも看る側と看てもらう側の両方が解るので、利用者様の心や想いを感じ取ることが出来ました。今でもラインや電話等で友人としてやりとりしています。
仕事を辞めた理由ですが、胃婁だけであれば何とかなったのですが、排泄障害等もかなり進行したのでやむを得ず、自主退職しました。流石にこの状態で利用者様のお世話をするのは自分自身が納得いかないので。
退職後は孫の面倒をみたり掃除をしたりしながら、今後どうしていくかをいろいろと模索しながらの現在です。在宅ワークを中心に方向性を模索しています。何もしなくても一日は終わりますが、一日一日を大切に生きたいので頑張ろうと思います。