tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

今日の在宅ワークは、ニンニクの出荷前処理

今日は朝に代表にラインして排泄の状態が思わしくないので、在宅ホークにしてほしい旨を伝えました。無理せずに休めばと言われましたが、ニンニクと玉ねぎの処理がほとんど終わっておらず、代表一人で出来る量ではないので、朝一に誰も出勤していない時間に作業所まで取りに行ってきました。ニンニクは一玉かグラム売りするので、綺麗に仕上げの皮むきをするか、ばらすかを一玉ずつチェックしながら仕上げるので時間がかかりました。

これはほんのごく一部にしか過ぎず、この何倍も未処理で乾燥中のものがあります。
玄関先の庭で作業していましたが、何かに見られているようか気がして、ふと上を向くと
おそらく、毎年きているツバメだと思いますが、ひの様子を電線にとまって、ほぼ一日中みていました。過去に一度だけ巣づくりさせたことがありました。きっとその時のツバメだと思います。玄関の戸の上のサンの部分に巣を作るので玄関の開閉が出来なくなるので、可哀そうですが、毎年、作り始めたらすぐに形になる前に撤去しています。ツバメが来るのは嬉しいですが、家の出入りが出来なくなるのも困るので。