tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

今日は一日、ニンニクのばらし作業でした。

作業所全体的に忙しく。ニンニクと玉ねぎの出荷準備に人を回せる状態ではなく。代表が
玉ねぎの出荷準備をして、自分はニンニクの選別と、規格外のニンニクを一片ずつにばらす仕事をしていました。干してあるニンニクと玉ねぎはいいのですが、沢山作り過ぎたため、そのままにしておくと傷みます。なので黙々と作業していますが、おそらく全てを処理して出荷するのは不可能な量です。本来、黙々とする作業は嫌いではないですが、出口の見えないトンネルの中にいるようです。多発性硬化症の症状は周りから見て解らないし、説明してもなかなか理解できないと思います。前に働いていた時と現在では症状の進行があるのですが、それをいちいち説明する方が面倒です。もう体力的にも精神的にも限界は越えています。夏には入院予定があるので、ドクターの言う通り、無理しないで体調を整えることも必要だと思います。