tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

昨夜は夜の10時まで、ニンニクのばらし作業を自室にて

もう体力的に限界なので、昨晩は今日休むために、ニンニクの皮むきと一片ずつにばらす作業を自室でしていました。流石に家の中でやる作業ではありませんでした。家の中のニンニク臭が凄まじいことになりました。夜の10時までかけて、もってきた分は終わったので明日はゆっくり休もうと思い玄関に行ったら、役所から作業所に提出しなければならない資料が届いており、結局今日も出勤しました。代表に体力的に限界なので、しばらく休ませてほしいと伝えると、体調の悪い時は休んでいいことになりました。但し、ニンニクが腐ると困るのでお持ち帰りしてきました。玄関先でゆっくりとやろうと思います。