tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

現在の病状について

昨年末に胃瘻ペグの交換をしましたが、新しいペグには便利な反面、不便な所もあります。
胃瘻の栄養はスムーズに入るのですが、薬剤を白湯に溶かして注入しますが、胃瘻の管が細すぎて薬剤の注入に時間がかかります。溶け切っていないと管が細いので詰まってしまいます。また、今までの胃瘻ペグは挿入口が半透明であり、目立ちませんでしたが、現在の胃瘻ペグは白いプラスチック製であり、すごく目立ちます。温泉や銭湯に行った際に目立ちすぎて困ります。通常、胃瘻ペグの装着者は寝たきりの場合が多いので仕方ありませんが、QOL
の低下となります。半年後まで持ちこたえれば、元のタイプに戻したいと思っていますが、
薬の注入で頻繁に詰まるようであれば、再度交換が必要です。
排泄障害については泌尿器科では解決できなく、神経の伝達が悪くなったので治療はできないとのことで、下剤を強めにかけて出すようにしていますが、数日間でないこともあります。排尿については感覚が鈍く、常に紙パンツを使用しなければならないようになりました。これにはいささか参っています。
元旦に起こった令和6年能登半島地震以降、睡眠が上手く取れず疲労感が強く出て起きることさえ大変な状態になりました。なのでほぼ自宅静養しています。動かないと動けなくなると医師から言われていたので、息子と孫とショッピングセンターに出かけてみましたがほぼ歩くことが出来ず、ベンチに座っていました。
今もパソコンを打つのが大変なくらいの疲労感です。
明日の受診で入院についてお願いしたいと思います。