tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

今週も体調が優れず

今週も相変わらず疲労感が強く、排泄障害で尿意がなく失禁が多く、便秘が酷く下剤をかけて。何とか出ました。右手の振戦も強く、パソコンも打ちづらく、結局1週間ほぼ布団の上で過ごしました。後は立ち上がる際に、手すりがないと転倒してしまいます。昨晩の午前1時に全身に痛みが走り、目が覚めてしまいました。痛くなかったのは、顔と頭部のみで、痛みとこわばりでその後は一睡もできませんでした。最近思うのは、病気の期間が長すぎて、ちょっとのことでは我慢してしまいます。しかしながら、3か月に一度の治療をすることになっていたのですが、もう4か月目に入りました。最初は2か月でもとの話がありましたが、3か月でと返答していました。もう治療はいいかなと思うこともしばしばあります。