tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

もうすぐ上の孫の誕生日です。

早いものでもう小学3年生です。去年までは夏休みや冬休みはべったりとくっついていたのですが。女の子なのでもうあまりくっつかなくなりました。下の孫はすぐに膝の上に座ってきますが。今までは本や服やパジャマなどの実用的なものにしてきたのですが、今年からは
欲しいものを聞いてみることにしました。この間学校から帰ってきた時に誕生日は何が欲しいか聞いてみたところ、いつも本を買ってやっているので「本が欲しい」と言うので、「どんな本が欲しい」のと聞くと解らないと言うので、たまにはおもちゃでもいいよと聞くと嬉しそうな顔をしたので、じいちゃんは自分の部屋でインターネットでいろいろと検索、普段の様子や会話から考えてこれかなと思った画面を開いて上の孫を呼び、「これはどう」と聞くと大ヒットで「これが欲しかった」と言うので買い物カートへ。下の孫にも何か買ってやらないと自分の分がないと大騒ぎになるので、引き続きインターネットと格闘し、たぶんこれが喜ぶかなと思うものを再び買い物カートへ。発注ボタンを押し終了。配送時間の指定を
孫たちのいない時間にしてOK。便利な時代になったものです。