tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

おはようございます。昨日は外作業でウートフ症状・・・

おはようございます。昨日は作業所で栽培している、ニンニクの収穫で畑から収穫したニンニクが運ばれてきて、その茎をニンニクから10~15㎝のところでカットし、後はニンニクの根を包丁で切り落とす作業をしました。利用者さんが刃物を扱うのは危険なので一人で黙々と続けていました。そういう作業は嫌いではなく、昔からいろいろなことを考えるのに施設周りや畑の草むしりをしていました、今回は施設の日陰になる場所でやつていたので、何とか一人でできました。帰宅後、すぐに冷水でシャワーし、冷房で身体を冷やしたので、ウートフ症状も何とか落ち着きました。今日も一日同じ作業ですが、曇り空なので何とかなりそうです。利用者の主力部隊のリーダー的存在が二人も休んでいるので、仕方ありません。ウートフ症状にならないように注意して頑張ります。