tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

秋晴れの奥飛騨、大喜び

若い頃、母親には散々迷惑をかけたので、暇を見つけては親孝行をするようにしています。
父親は自分が若い頃にくも膜下出血で他界したのて、それからは二人分の親孝行を母親にするように心がけています。ここ数日は天気や出かける場所選びで毎日パソコンとにらめっこしていました。結果今日が天気も良くて一日持ちそうだったので、朝に電話して紅葉見に行くから用意して待っていてといい実家に母親を迎えに行きました。普段、病院へ行くときや
買い物に行くときは車を運転しますが、久しぶりに長距離ドライブしました。行先は岐阜県奥飛騨温泉郷です。毎年、紅葉を見に行くのですが、二人して「今年で最後かもと」言っていますが、もう何年も前から続いています。奥飛騨温泉郷の道の駅に寄って、どうしても五平餅を食べたいというので買ってきて、車の中で窓を開けて、おいしい空気と一緒に食べて
最近こんなに美味しいと思うもの食べていないと言いながら、ペロリと食べていました。
今の奥飛騨は紅葉真っ盛りです。