tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

今日の受診結果について  今年一番の朗報

体調が優れず、身体機能の低下だけではなく、認知機能的な部分も、自分の特定疾患にかかってからの長さからして症状の一つであることを先生から話されました。下剤に関しては入院中の処方されていたものに替えてもらいました。但し、一日に使用できるMAXの量だそうで排便がなくても多めに飲んではいけないとのこと。
その後、主治医と話していて、嬉しいことがありました。最近は体調もよくなかったので、今後のことを考えると精神的に落ち込むことが多かったのですが、何と治験していた治療を病院として取り組む方向で、病院の倫理委員会にかけるとのこと。担当医が書類作成しており、主治医は教授なので僕も頑張るからとのこと。
何か目の前の霧が晴れていくようでした。
帰りに別の総合病院に寄り、胃婁のペグ交換の予約をしてきました。これは、胃婁のペグが入荷しないと決めれないので、後日電話連絡が入ることになりました。胃婁は交換時期が過ぎていたのでしなければならなかったのですが、その総合病院が遠いので後回しにしてきました。