tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

昨日の胃瘻のペグ交換の相談の際に

大学病院はかかりつけてから、かれこれ8年ほどになるので、結構いろいろな場所で顔を覚えられているので、いろいろと面倒なことはなくそういう面では楽である。
しかし、午後から別の総合病院へ胃瘻のペグ交換の相談に行った際、地域医療の窓口で相談していて、で患者様は現在どんな状態ですかと(笑)自分ですと言うと一瞬場の空気が止まりました。失礼しましたと言われましたが、やっぱり普通の元気な人にしか見えないのだと再認識しました。でも、いかにも病気ですというよりはいいと思いました。
今日も一日を大切に生きます。