tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

週末はゆっくり静養の予定が・・・

土曜日は外出せず自宅静養していましたが、日曜日の朝、母親から電話があり「母親と母親の姉をどこかに連れて行ってほしい」とのこと。悩みましたが昨日一日静養したので出かけることにしました。幸い天気もよく風はありましたが、海沿いにある温泉まで連れて行ってきました。帯状疱疹のあとがまだ酷く、周囲の人のことも考えて貸切風呂のある温泉に浸かってゆっくりとしてきました。母親たちは普段しゃべることも少ないのか最初からずっとしゃべり続けていました。毎回思うのは、母親たちが徐々に動けなくなってきていることです。歩行状態も徐々におちてきており、遠くに出かけることが難しくなってきています。
母親たちは凄く楽しかったらしいです。自分も出来る限り、親孝行したいと思います。
帰り道に次の予定を考えているのには参りました(笑)
今日は大学病院の定期受診日です。