tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

今日は天気も良く、気温も上がり過ごしやすい

昨晩、買い物に行こうとして玄関まで行ったら、息子が居間から出てきて「夜は運転しないと自分で言っていたよね」と言うので、「じゃあ店まで乗せていってほしい」と言ってみたら、「しょうがないなあ」と言いながらも乗せて行ってくれました。感謝です。明日早く仕事に出ていくと言っていました。今朝は5時前に出ていきました。昨日、ドラッグストアに買い物に連れて行ってもらったのは、ここ1週間ほど下剤を内服していてもなかなか産まれないので、牛乳を買いにいきました。胃婁から牛乳を注入して腹部マッサージ、深夜に出ました。最近は、このパターンが良いようです。そのあとは、眠れなくてパソコンでYOUTUBEの動画編集をして明け方に疲れて、うたた寝をしました。最近、唾でむせることが多く、痰の切れもあまり良くないので、イエローランプ点灯中です。